スプートニクの恋人
昨日、谷崎潤一郎さんの卍の話をしていたら、ふと、スプートニクの恋人を思い出しました。

『22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。恋におちた相手はすみれより17歳年上だった。さらにつけ加えるなら、女性だった。それがすべてのものごとが始まった場所であり、(ほとんど)すべての物事が終わった場所だった』

という文章で始まり、「すみれ」の17歳年上の女性へのどうしようもない思い、「ぼく」のすみれに対するかなわない思いが描かれています。

作中に「すみれ」と「ぼく」の性欲についての会話があるのですが、会話の終わりに「ぼく」がこんな言葉を返しています。

「性欲というのは理解するものじゃない」とぼくはいつもの穏当な意見を述べた。
「それはただそこにあるものなんだ」


この会話が「性」の本質そのままを示していると、私は思っています。人の「性」は理屈で考えられるものではないからこそ、永遠のテーマなのではないでしょうか。


ところで最近、多様性についていろいろな方の話を聞く機会があるのですが、
「多様性とは何か考えるものではない。多様性とはただそこにあるものだ」
のように言っている方に出会いました。
どこかで聞いた言葉だなと思ったのですが、「ぼく」の言葉にそっくりなような...🤔

2024.07.31 23:57 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 読書メモ
今日は谷崎潤一郎さんの命日なので、潤一郎さんを偲んで綺麗な装丁の卍を購入しました。今日のポストはちょっと長くなりますが命日ということで お許しを。

卍は女性の同性愛を描いた代表作?として知られていると思いますが、男性の同性愛を描いた三島由紀夫さんの禁色とは違って、同性愛のみを純粋に描いたものではないと私は考えています。

園子と光子の性愛の背景には、現実的な関係に満足できない「性」、手の届かないものや架空のものに執着する「性」が潜んでいると思うのです。

作中で、園子の夫が園子の行動に対して
「お前は年中しょむもない恋愛小説ばかり読んでるよって文学中毒してんねん」
と言っているのですが、この言葉からは、現実的な他者と接する経験が乏しいまま、恋愛小説を通して性をシミュレーションしてきたが故に、現実的な「性」に満足できなくなった園子への鋭い指摘が読み取れると考えています。

卍には、手に入ったとたん、現実的なものになったとたんに興味を失う、そんな「性」が描かれていると思うのです。
(「秘密」も同様の要素があると考えているのですが、それはまた今度?)

2024.07.30 00:01 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 読書メモ
傲慢と善良
西澤架に感情移入してしまいました。とくに花垣さんとの対話、そのあとの「それでも彼のような人が幸せになれないことのやるせなさ...」のくだり。結末はちょっと(いえ、かなり)残念だったかな。そう思うのは私の傲慢さなのかもしれないのですが。

映画も楽しみですが、架役は違う人がよかったなー。誰が良いかと言われると難しいのですが、、、

2024.07.29 23:59 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 読書メモ
地域のみなさんとの意見交換会も4回目
暑いですね〜
今日もフィールドワークに行ってきました。
樹齢400年の木に出会いました。
ジブリに出てきそうです!

今夜すべてのバーで
今日は中島らもさんの命日です。
急いで帰って、らもさんを偲びながら飲みたいと思います!

人を笑わせる話を書くって、なかなかできないと思うんだよね。らもさんは、それができる貴重な作家さんだったと思っています。大好きでした。

2024.07.26 00:03 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 読書メモ

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